自然保護委員会開催50回を迎えて(雑感)

平成231130()

自然保護委員会 磯野澄也

1130日(水)、自然保護委員会の開催が主として隔月奇数月の最終水曜日開催し、足掛け9年で50回目を迎えた。「継続は力なり」という言葉の通り、委員の協力のもと試行錯誤をしながら歩んできた。

9年前の平成153月の夜、当時の岳連役員:内藤会長・三枝副会長・青木理事長より突然電話があり、自然保護委員会の委員長をして欲しいとのことだった。私自身、自然保護どころか高山植物等には縁が無く何で私にきたのか、やんわり断った。しかし、電話の向うは強引で「難しく考えることは無いよ」と無理やり押しつけられた。家に帰ると何と、理事会の通知が既に届いていた。

あれから9年。最初の年は何をやって良いのか様子見するしかなかった。岳連総会で山岳レインジャーは委員会と分離し、岳連直轄の組織となった。従って山梨県自然保護大会、富士山クリーン作戦、日山協自然保護委員総会等への参加程度であった。そうは言ってもで、平成163月に第1回目の委員会を開催し、内藤会長・青木理事長・委員の計9名で岳連方針の考えを聞き自然保護に対し前向きに取組むこととした。頼りない委員長に対し、副委員長に樹木医で高山植物に精通の渡辺真悟氏、山岳レインジャー担当の田中成人氏に補佐をお願いした。その後、田中氏に代わりこれまた高山植物の大家:遠山若枝氏が加わり鬼に金棒の体制になった。委員会開催場所は内藤会長の会社の精発会議室をいつもお借りし、大変お世話になった。以後は甲府総合市民会館、ぴゅあ総合等を会議場所とした。 

私自身含め山屋は高山植物等の知的事項には滅法弱い。知らないものが山岳レインジャーは務まらないのでより質を高めるべき高山植物現地学習会を平成166月、櫛形山で実施した。講師は渡辺真悟氏、多数の高山植物の開花状況に対し「これは何科の何々」と何も見なくてもすかさずポンポン解説する。感心するやら私には「歩く図鑑」に見え、カルチュアショックを受けた。十代から始めた私の山人生の中で、この学習会は大変新鮮に写った。以来、平成22年までの7年間で15回を数え、多いときには30名を超える参加もあった。委員の中には「高山植物学者」が何人もおり、遠山若枝氏、荒木陽一氏にも講師をして頂き、後押しして頂いた。少なからずしも山岳レインジャーの質の向上になったことは間違いない。高山植物を知ってくると別な山登りの楽しみ方が生まれ、事実、私の所属する甲府昭和山岳会でも高山植物には全く無縁であったが、最近は花観察を楽しむ山行も多くなってきている。また、学習会での高山植物をCDにし各会に配布しより学習効果を高めた。

平成17年の櫛形山での学習会ではアヤメ平でホテイアツモリが観察された。がしかし、この2日後に盗掘され行政・マスコミ・警察が入るなど事件になった。以前に比べ盗掘は減少し少ないものの、マニアなのかその後も三ツ峠のカモメラン・アツモリソウの被害報告があった。

岳連HPに各山域の高山植物のアルバムをつくるべき荒木陽一氏に尽力して頂いた。山岳レインジャー及び個人山行のCDを提供してもらいデータ収集を行った。セミプロのカメラマンの目は厳しくピンボケも多くその大半が没となった。纏めるのも大変な作業で一度出したものの、いつしかそのままとなってしまった。 

山岳レインジャー業務自体は当初分離されていたが、メンバーも同じのためいつしか委員会でも携わるようになってしまった。山岳レインジャーが始まった昭和60年代は主要な山にもゴミは結構あった。時代の変遷と共にモラルも向上し高い山ほど綺麗になってきた。

昭和60年に制定された「高山植物保護条例」は役目を果たし、平成20年に「希少動植物種保護条例」へと条例が変わった。それと共に山岳レインジャーの役割も従来のパトロール業務から調査業務へと大幅に変わった。調査業務となるとそれなりの結果を出さねばならない。幸い、精通している渡辺真悟氏・遠山若枝氏には基本方針となるべき調査票及び調査方法についてマニュアルを作成して頂き、当初からスムーズに方向付けされた。当然、周知徹底のための事前・事後の研修会及び反省会を開催し、より浸透を図った。一部にはもう少し努力して欲しい面も見られるが、4年目となる本年はかなり精査された報告が多くなってきた。各会の調査業務に対する意識向上と協力に感謝したい。報告書までにはこの後の纏めが一番大変で、結構な時間が費やされ苦労が強いられる。その年の気象状況等で微妙に変化が見られ、報告書は経年する都度、貴重なデータになるものと思える。

また、年度当初の各会への山岳レインジャー登録は例年120名を超えるものの、会員の高齢化等の理由から回数減を申込む会も多く、毎年実務人員が減少傾向にあり割振りに結構頭を悩ませる面がある。調査方法も含め、若干の修正も必要と考える。 

平成16年には日本トイレ研究会からの要請で高山帯の水質検査の協力依頼があった。

自然保護・環境保全の見地から指定された7ヶ所の調査及び報告に協力した。これらは東京で開催された「山の水場・環境報告フォーラム」に招聘され発表した。全国から環境に熱心な人が集い、その環境意識の高さに大変刺激を受けた。しかし調査方法が簡易型のため、本来は公的検査機関がキチンとした対応すべきであり、一度きりの素人調査で軽々に報告書は出せない理由で次年度は参加を取止めた。そういう問題が他からも出て結果的になし崩しに中止になったようだ。 

各種の環境行事に対し委員会として、山梨県自然保護大会・富士山クリーン作戦・日本ライチョウ会議・日山協自然保護委員総会等に参加してきた。毎年各県で開催される自然保護委員総会では全国の自然保護の情報が集まり大変参考になった。全国でも有数の恵まれた山岳県である山梨の取組みは他県と比較すると結構、山岳レインジャーを始めとする先進山岳県である旨を感じえた。

平成18年の山岳レインジャー活動報告でニホンジカによる急速に進行している食害報告が多数寄せられた。平成19年の岳連総会時に静岡大学:増沢教授に講演をお願いし、静岡・長野県側南アルプスの被害拡大状況に危機感を覚えた。委員会としても北岳・櫛形山等でその実態調査活動を実施した。これらの報告は岳連報での報告及びJACが全国規模で実態調査をしていたため、同年11月西湖で行なわれた自然保護全国集会、翌年4月千駄ヶ谷で行なわれたシカ食害シンポジウムで山梨の実態を報告した。行政側でもその後、手立てを打ち始めたが、北岳草すべりではマルバタケブキに植生が変わり、櫛形山は時遅しでアヤメ平、裸山のアヤメ及びその他の高山植物は殆ど全滅に近い状況下にある。自然保護の観点から看過できない問題であり、今後もその実態と対策を注視していく必要がある。

三ツ峠では進出が遅かった点もあるが、日本高山植物協会が環境省を動かしいち早くボランティアが支援して防鹿柵の設置、植生保護のためテンニンソウの除去等に取組んでおり、岳連・委員会としても昨年・今年と保護活動に何回か協力した。

以外に知られてない希少種で18種には入ってなく別の分野所属で、日本で櫛形山しかない「ホザキツキヌキソウ」という大変稀な絶滅危惧種があると、委員会において田中喜志子氏から以前見た話があった。幻の花を見てみたいと本年度2回、同じく確認した山口けさ美氏と共に探索を行なった。しかし、開花期にその場所をくまなく探したものの、結果は見当たらなく絶滅したかも知れない。同様に僅か数年前の平成16年にはあれだけ咲いていた櫛形山のアヤメ、僅かではあったがホテイアツモリ・キバナノアツモリソウ・ニョホウチドリ等の希少種の開花は跡形も無い。改めて自然保護の重要性を強く感じ、対応の速さが必要と痛感した。 

環境省では平成11年度から「山岳環境浄化・安全対策緊急事業費補助」制度を創設し、

平成21年度までに1000万円以上かかる全国の山岳トイレ100ヶ所を整備してきた。山梨県においても富士山11件、南アルプス2件計13件が整備された。他県では長野県38件、

富山県21件、静岡県20件となっている。本県では1000万円以下のトイレについての補助はあるものの、世界遺産を目指した富士山に集中する余り南アルプスをはじめとする山岳地帯の民間の山小屋トイレは莫大の費用が絡み、整備が進まず立ち遅れた面は否めない。

平成22年の民主党による事業仕分けで上記制度が廃止の結論が出た。整備は「利用者負担が好ましい」との判断である。山を知らない人達が机上の論理で決定した。これに反対する全国集会が東京で2回開催され、上原氏と私がそれぞれ参加した。

10年程前に遠山若枝氏が山岳トイレ整備について提唱したが、当時では先見の意識不足であったのか進まなかった面があった。委員会でも平成19年頃から富士山のトイレ改良による登山者の増加等が話題に上がり、他地域では遅れているため山のトイレの実態研究を始めることとした。平成21年には山梨岳連に一般登山客から4件の苦情が寄せられた。

秋山会長は韮崎市議であり議会質問で市内の山小屋に補助金助成する意見し、採択され

茅ヶ岳登山口、鳳凰小屋、薬師小屋等の整備が急展開し、また県にも支援要請した。

委員会としてもより発展的にするため、平成222月に遠山氏を座長とする山岳トイレ研究会を発足、2ヶ月毎に実施した。岳連内のアンケート調査、現地実態調査山行、山岳レインジャーのも協力して頂き、主として高山帯の登山口・登山路・山小屋の約100ヶ所のデータを収集した。明らかになったのは隣接近県では環境省の制度をフル活動し、更に自治体の協力のもと整備され、民営の多い山梨と歴然の差がついていた。これらを精査して纏め、平成236月に秋山会長名で横内知事宛てに提言書として県観光資源課に提出した。

県でも山岳観光立県の名に恥じないよう一生懸命動いて頂き、関係各課、環境省、林野庁、南アルプス市等の山が動いた。現在、緊急性から南アルプスの動脈的存在である肩の小屋を重点に方向付けを模索調整している。

9年間の経緯を思いつくまま綴ったが、まだまだいろんな出来事の想いは沢山ある。委員会にはそれぞれ山に関する奥深い得意分野を持つ粒揃いの委員ばかりであった。また年配者だけでなく山梨大学生の若手の参加も頼もしい。自然保護に対し時代も後押しする中、当初から岳連役員、委員及び各会の会員の過分なる支援と協力を受け、無知の世界からやっとここまできた感があり、多くの皆様方に感謝したい。

これからもこのかけがえない恵まれた自然遺産を後世へ伝えるべき方策を山梨岳連・自然保護委員会と共に考え、歩んで行きたい。今後も支援を旧に倍してお願いする次第です。