要害山~深草観音~兜山~棚山 : 嶺朋クラブ

要害山~深草観音~兜山~棚山
嶺朋クラブ 高崎 諭
平成24年1月29日(日) 晴れ
コースタイム
要害温泉駐車場発7:20~要害山7:56~岩堂峠8:59~兜山展望台着10:10-10:35発~棚山着12:20-発12:30深草観音着14:15-14:30発~要害温泉駐車場着15:36

去年の晩秋、初めて深草観音を訪れた。この断崖の中空の岩堂の中に観音さまが奉られている。この幽寂な木立の中で、木漏れ日に浮ぶ穏やかな面差しの石仏がずっと心に残っていた。

昨年の4月初め、仏像と桜を求めて奈良、京都、滋賀を巡った。その時見た数多くの仏像の中で、最も印象に残っていたのが井上靖さんの小説『星と祭』に登場する石道寺の十一面観音である。

この深草の石仏は、琵琶湖畔の山里にひっそりと佇んでいたその十一面観音さまと同じように心温まる石仏だった。この時以来深草観音を経由できる山として要害山から兜山への道を歩きたいと、密に思っていた。


この日も寒い。この冬はラニ―ニャ現象により偏西風が南下して日本列島を覆っていて、日本海の大雪と共に異常低温が続いている。

要害温泉から始まる要害山への道は急だが、観光客が多いのだろう、よく整備されていた。アズマネザサ・シラカシ・クマノミズキ・マルバアオダモ・アラカシ・クマシデ・ミズキ・ウリカエデ・オニグルミ・ヤマグワなど初めて目にする樹木も多い。

また、山城としての堅堀・堀切・土塁・門・曲輪の形跡も豊富で飽きさせない。屋敷跡の主郭部には、信玄公誕生の石碑が立てられている。


ここから深草観音へは、三つの尾根を横切るなだらかな道だ。深草園地からのルートと一緒になる沢筋の道からは雪が多くなって来た。日中でも殆んど日があたらないので、溶けないのだろう。

深草観音へは帰りに寄ることとし、岩堂峠でベンチに座り少し休憩した。この峠からは、ほぼ真っ直ぐに緩やかに下って行った先がT字路となっていて、道標があり、右に兜山、左は棚山への表示がされていた。ただ、この時棚山への道は眼中に無かった。



兜山への上りに差し掛かった時、須玉町から来たという50歳の人に、この日初めて出会う。兜山最高地点を通過し、少し下った展望台まで一緒だった。コーヒーを飲みながらこの後のルートを思案した。まだ、時間も早く、先程上って来た兜山最高地点少し手前に棚山への尾根道があることを覚えていたので、急遽この山を目指すことにした。

最近読んだ志水哲也さんの、『大いなる山、大いなる谷』に書かれていた「山では引き返す勇気も大事だが、一歩踏み出す勇気が無ければ何も生まれない」という趣旨の言葉が背中を押してくれたのかもしれない。


1時間もすれば頂上に着けるだろうと、高を括っていたが、なかなか辿り着けない。尾根を上るにつれ、正面やや右に棚山らしき山頂は見えて来たが、この尾根道は馬蹄形のように大きく左側から回りこむように続いている。まだまだ先だ。時間がかかり過ぎてしまっては不安になるので、棚山の山頂に着くまでは時計を見ない事に決めた。

ザクザクと雪を踏む山靴の音だけが聞こえる。 その踏み跡は、縦横無尽に辺りを駆け巡っている動物の足跡と重なる。 山頂に着いたのは12時30分、まずまずの時間だった。要害山の方から眼下に見えるフルーツ公園まで、立体的なパノラマをみるように景色が広がっていた。

頂上では写真を数枚撮っただけで、すぐ引き返し、三叉路を太良ヶ峠方面に進み、直ぐにその道も分け、岩堂峠に戻るべく杉、檜の鬱然とした国有林の沢筋の道を駆け下りた。家に帰ってから昭文社の地図を見たが、このルートは記載されていなかった。ほったらかしの湯から棚山への道が主流となってしまったので、この道は廃道となるのかもしれない。勿論この間一人も会わず、道も荒れていた。

岩堂峠を越え、深草観音にあるアルカリックスマイルの石仏に手を合わせた時、今日一日の充実した気持ちが漲ってきた。

もと来た道を戻ったが、北風が強く吹いていた。要害山からは、左右の尾根に包まれたように見える甲府盆地、その所処、太陽の光を強く反射する建物の屋根が、冬日を受けてやけに眩しく見えた。