剱岳北方稜線、僧ヶ岳からサンナビキ山へ

日時:平成27年5月1日~4日

コース:5/1 片貝川第2発電所先駐車場8:25発~片貝山荘~伊折山先15:00着

5/2 5:20発~成谷山~僧ヶ岳~北駒ヶ岳~駒ヶ岳~滝ヶ倉山手前17:00着

5/3 4:35発~サンナビキ山~ウドノ頭手前18:40着

5/4 4:30発~平杭乗越~三階棚滝~片貝山荘~駐車場14:37着

パーティー:植松司(U・65歳)・古屋寿隆(F・64歳)(甲府昭和山岳会)

概要

残雪期剱岳周辺の総仕上げの一つとして当初、宇奈月から剱岳に続く北方稜線上にある僧ヶ岳を片貝川から入って、駒ヶ岳、サンナビキ山を経て毛勝三山を一周し、猫又谷を下山する予定であったが、予備日を1日残して、時間切れというより肉体的、精神的疲労困憊のすえ登行の意欲を無くし、平杭乗越で下山を決意した。ここから遥か見上げた天国への階段の先にそびえる毛勝山、釜谷山、猫又山の毛勝三山、大猫山などを諦め、東又谷への雪渓を下って片貝山荘から発電所へ下山した。


1日目:5/1快晴 

甲府を早朝3時15分発、片貝川第2発電所先の通行止め箇所まで350km、車で4時間30分、道路わきの駐車場に止める。8時25分出発、第4発電所まで50分、さらに1時間かけて片貝山荘(北陸電力東又寮)着10:25。この間右の谷から落ちた雪は樹木や岩石を巻き込んで所どころ4~5mの高さになっている。しかし道端にはコゴメやフキノトウが畑のようだ。


山荘から道は片貝川右岸に沿って崩壊地を通過するが、10:30正に出だしたその時、左上部の雪渓から突然の落石の雨、こちらに向かって飛んでくる大小無数の石に逃げまどい、Uは転倒、右胸に深い擦過傷と打撲。Fは逃げ転げてサックが覆いかぶさり腰を捻って動けず、「ああ直撃か!」、しかし偶然とは言え、転げ落ちた鉄砲かごにかろうじて体半分隠れて難を逃れた。全く生きた心地がしなかった。戦場の弾丸を、戦士の恐怖を命からがら初めて実感した。心底恐ろしかった。この先が全く思いやられる。

気を取り直し、急いで雪のトラバースを終えて、10:38小さな広場に到着。ここに僧ヶ岳登山口の看板がある。隣の岩に昭和52年8月と1974年11月の遭難碑が2枚打ち付けられている。右手の橋を渡れば毛勝山に直接向かう阿部木谷から毛勝谷へ、あるいは西北尾根に入ることができる。


11:00左の尾根に取り付き、3時間20分かけて標高差657mの急登をしのぐと、伊折山1370mに着いた、14:20。この間、取り付き以外には雪もなく花も満開で五月晴れの陽に輝いている。カタクリ、イワウチワ、ショウジョウバカマなどの群生、ハクモクレンなどが見事だ。伊折山からは雪が出てくるが、なだらかな尾根になり、本日は1400m地点の雪原でテント泊とした、15:00。行動食はおにぎり2個、夕食は酒と味噌汁の流動食のみ。食欲なし。行動時間6時間30分。

2日目:5/2快晴

4時起床、味噌汁、コーヒーの朝食後、アルファ米に湯を詰めて5時20分出発。右からの尾根が合流する1450mを越えるとなだらかな長い雪の尾根になり、さらに成谷山1600mから別又右尾根が僧ヶ岳1855mまで続き、頂上に8:54着。右手、南東に駒ヶ岳2002m、滝ヶ倉山1769m、サンナビキ山2029m、ウドノ頭。南に雪をたっぷりまとった端正だがどっしりと構えた毛勝山2414mが全容を見せている。


しかし日差しが強く暑くて体がだるい。今日中に平杭乗越まで行けるか。北駒ヶ岳を越えて、1か所ロープを手繰り、立派な石柱がある駒ヶ岳(12:24着)までは、途中Uがクレバスに落ちて首まで引き込まれたこと以外、特別問題になる箇所はなく順調に進んだが、その先に本当の困難が待ち構えていた。 

下りだが、とてつもない藪漕ぎが待っていた。左側が絶壁と雪庇のため右斜面の藪にルートをとった。全身を使って猛烈な樅ノ木、根曲り竹、樺の小木群の藪をかいくぐり、跨ぎ、かき分け、引っかかるザックを無理やり引っ張りながらトラバース気味に漕ぐこと3時間、もうすぐ稜線に出られるはずだ。Uとはぐれてすでに1時間、声も藪を漕ぐ音も聞こえなくなった。身も心もくたくた、こんな状態がえんえんと続きもう動くことが嫌になった。誰か助けてくれと何度思ったことか。発煙筒はザックの中にある、いつでもヘリは呼べるぞと。1ラウンド3分、休憩1分、休んでは数を数えながら息を整えた。まるで精一杯戦っているボクサーのようだ。ようやく思い切ってザックを背負い上げ、歩き始めることの繰り返しに終始した。小さな雪渓で雪を舐めてから重い腰を再び上げた。痙攣しそうな腕で藪をかき分けながら直登し、ようやく稜線に出ることができた。


すぐ下にテント場に良い雪の小平が見える。左は黒部の谷に雪庇となって急落している。しかし、あたりを見回しても、探してみてもUは見当たらない。先に行ってしまったのだろうか。そんなはずはない。雪が出たら待っていてくれるはずだ。何度も大声で呼びかけるが全く返答がない。目を凝らしてみるとその先の雪の斜面に足跡らしきものが見えるので、そこまで行ってみた。


しかし、そこに見出したものは浅いぼんやりした足跡で直前のものではなかったが、さらに雪の急斜面を登ってみるとまた猛烈な藪が現れた。天辺から振り返ると樹間にかすかな人影、Uに違いない、大声をかけた。聞こえたようだ。「どこだあー」、「ここでーす」、ストックを振ってみるが藪の中で見えないらしい。ようやく合流しテントを張る、17:00。滝ヶ倉山1769mの直下。先行したUは手前の雪庇の上で1時間ほど待っていたらしい。二人とも足も腕も傷だらけになっていた。行動食は卵まんじゅう1個、ゼリー飲料2個、水1800ml。夕食は味噌汁のみ。朝作ったアルファ米は結局一口も口にせず、甲府に持ち帰った。本日も食欲なし。行動時間12時間。

3日目:5/3晴れ

3時起床、4時35分出発。朝食は味噌汁のみ。また藪漕ぎから始まる。左の雪庇に気を使い、サンナビキの深い谷を見下ろしながら、藪や雪稜、雪壁を交えて8つのピークを登り降りし、ようやくサンナビキ山2029mに到着した、12:36。ここから一旦下ってウドノ頭を越えるまでが核心部。


15:27から懸垂2回、1回目は垂直な岩場20m、2回目は樹林のトンネルを2段下がって25mぎりぎりいっぱいの草付き壁。さらに相変わらず狭い稜線の藪をかき分けたり雪壁を越えたりして進むが、ウドノ頭に出る手前の藪の中でついにギブアップした。左に灰白色のきれいに磨かれた絶壁を持った深い谷が、途中からなだらかで大きく広がるウド谷の上、正面には3枚のスラブに囲まれたウドノ頭。夕闇迫る頂上直下、雪庇の横、幅1mほどの狭い藪尾根でビバーク決定、18:40。本日の行動食はゼリー飲料2個、夕食なし、水1400ml。行動時間14時間。 

Uはここに不満そうだがひとりで水作りをはじめてくれた。Fは上着を着込んでアイゼンは外しはしたが靴は履いたまま、ザックを枕に細竹の寝床にフライシートを被って横になった。足が冷えて何度も目覚めたが、案外快適だった。山と同化した夜半、天空を満月が明るく照らしていた。


4日目:5/4曇りのち時々小雨

3時30分起床、味噌汁だけ飲んだ。どうせ食べないのだからと、ぱさぱさになったおにぎり3個を捨てる。明るくなった4時30分出発。藪を進み、雪を踏みしめ6:00ウドの頂上へ出た。また狭い稜線の藪を漕いで下り、肩がらみ懸垂1回15m、8:30平杭乗越の雪原に降りる。毛勝山からの雪のスロープを3人が降りてきた。


女性1人を含め中高年の3人パーティーだ。彼らは乗越で少々休んだだけでウドを目指して軽快な足取りで登って行った。男性の荷はきっと30kgはあるだろう。彼らもこれからあの藪を漕いで前進するのか、本気なのかしらん。それに反して我パーティーはここから東又谷を下山だ。毛勝への天国への坂道、標高差500mの登行に意欲も勇気も湧かず、恨めしいが、8:50下山開始。

左右の谷からの落石、落雪、落屑に注意しながら雪渓を下った。三階棚滝は右から高巻き、10:30取水口着。小雨が落ちてきた。広場の先の初日に落石に遭遇した場所の通過は避けて、片貝川に架かる厚い雪渓を対岸に渡り、左岸に移って片貝山荘に出た。ここからは水量豊富な片貝川の白濁激流とともに、緑濃い山間の道を下った。4日間通して私よりもずっと快調だったUは、道々コゴミやタラノメを袋いっぱい取りながら。14:37駐車場着、やっと山から解放された。行動食は非常用コンデンスミルク1本、水1000ml。行動時間10時間。


まとめ

入山時ザック荷重28kgの軽量化、ルートファインディングの適否、藪漕ぎでの全身の筋力と精神力の疲弊、負荷と緊張による食欲の全くの不振、およびそのため食料が一向に減らず減量できなかったこと、その結果、気力、体力の喪失などを主因として敗退した。

これら全てが反省材料。体重減4kg。

しかし、この報告文を何度か読み返していると、この4日間の苦闘、苦悩に懲りず、もうこんな苦しい山は金輪際やめたと思っていたことが次第に嘘のように思えてきて、ふつふつと再び山への想いや意欲が無性に湧いてきてしまうのは、いったいどうしたことだろうか。

ああ、山に行きたい、縦横無尽に山を歩きたい、山と一体になりたい、とふたたび思う。気が付くと庭に出て、田園の緑の向こう、澄み切った空中に浮かぶ残雪の白筋をフレアに身にまとった青い白根の山山を眺めていた。

(古屋寿隆・記)