東斐山岳会

名称 東斐山岳会  
設立 昭和32年4月29日
代表者 井上力
会員数 男:00名 女:00名 計:79名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
当会は設立の翌33年6月29日山梨県山岳連盟総会に於て加盟が認められた。以後丹沢神ノ川流域全ての沢の開拓を開始し昭和38年7月に終了、会報「特集神ノ川」を発表した。33年には谷川岳の岩場に入り始め、34年には北穂高岳滝谷ドーム、屏風岩第一ルンゼ、35年の冬山合宿からは赤岳西壁や横岳西壁に、37年以後からは春夏数回北海道利尻岳の西壁を含むバリエーションルートに入る。昭和43年三好会員が日大隊に参加してグリーンランドを徒歩で横断する。46年(1971年)に東斐山岳会と秀峰登高会との合同でアンナプルナ山郡のガンガプルナ(7455M)に三好勝彦隊長(東斐山岳会4代々表・日大山岳部OB・当時27歳)広島三郎(当時秀峰登高会代表・28歳)で遠征し、許可申請等は東京都山岳連盟を通じて行ない壮行会は甘利仁朗氏らによって立川市で行なわれた。北アルプス最後のバリエーションを求めて霞沢岳に46年春から47年春まで4回にわたって全部で18ルートをトレースし、46年の暮れから正月にかけて豪雪の中霞沢岳南尾根を六百山まで東斐山岳会パーティが初登を記録した。霞沢岳の18ルートは雑誌『山と渓谷』410号(昭和47年・11月号)に10ページにわたって掲載された。50年から51年の年末年始にかけて北鎌尾根より困難な硫黄尾根からの槍ヶ岳~穂高岳縦走、同じく54年から55年にかけて殆どのパーティが停滞する中豪雪の白馬の主稜から後立山縦走。昭和56年7月に★甲斐駒ヶ岳を頂上まで日帰りクライミング(初)、竹宇駒ヶ岳神社発午前2時30分~黒戸尾根8合鳥居着5時40分~下降~ダイヤモンドAフランケ登攀開始7時~同Bフランケ~奥壁左ルンゼ~甲斐駒ヶ岳頂上16時40分~黒戸尾根~駒ヶ岳神社21時10分着、クライミングの合計が42ピッチでたんに頂上を往復するだけでも日帰りではきつい程の標高差2200Mもある。61年10月に行なわれた山梨国体では成年男子監督と選手3人の内1人を出し完全優勝を果たした。国内の登攀では谷川岳の衝立岩、穂高岳、剱岳の壁はもちろん黒部のオオタテガビンや丸山の東壁、奥鐘山の西壁等、また冬山で主なものでは剱岳、前穂高東壁、屏風岩、北岳のバットレス等に足跡を残した。 ★霞沢岳...南尾根(冬期初登)‥1971~1972年、 ★仙丈岳...そうめん流し(冬期初登)‥1981年、 ★穂高岳...屏風岩の東壁ルンゼ(冬期第4登)‥1982年1月、 ★千波の滝(冬期第2登)‥1984年2月3日、 ★海外登山... ★ナンガパルバット(8125M)‥1970年、 ★ガンガプルナ(7455M)‥1971年、 ★イヤプーン(6362M)‥1972年、 ★カンチェンジュンガ(8598M)‥1974年、 ★マッキンリー(6194M)‥1976年、 ★K2(8611M)‥1977年、 ★ガウリシャンカール南西壁(7134M)‥1983年、 ★クラウン(7295M)‥1985年、 ★アムネマチン(6282M)‥1990年、 ★タークニャ(5025M)‥1993年、 ★ディラン(7257M)‥1996年、 ★スキルブルム(7360M)‥1997年
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