笛吹山岳会

名称 笛吹山岳会 ふえふきさんがくかい
設立 昭和32年2月2日
代表者 岡利彦
会員数 男:00名 女:00名 計:22名
活動内容 簡単なハイキング程度の山から、やさしい冬山や岩登りまでオールラウンドにこなしている山岳会
集会日時  
会の紹介
笛吹山岳会は、奥秩父の自然を保護し、山を愛する者が集まって結成された地域山岳会です。主な活動の中心は牧丘町と三富村の山域を中心とした奥秩父西部区域です。結成当時には町の観光担当の要望もあり、当会が中心となって「大烏新道」のルート開設をしましたが、当時は杣口集落より林用軌道(トロッコ)であり琴川より直接登るコースでした。町が管理を委託されていた「大弛小屋」の管理に交替で直接従事し、管理人が入ってからは小屋への荷揚げ薪切り等、年間を通じて町に協力してきました。又設立当時より地域研究として、奥秩父の沢、滝、尾根、登山道、動植物の生態等の実地調査を行い、実態を把握する事を目的として順次取り組んできています。若手を中心に、一般登山、富士山での冬山訓練、十二ケ岳での岩登り訓練、東沢での氷壁登攀訓練など基礎的な研修会や、春は南アルプス、夏は北アルプス、秋は奥秩父、冬は八ヶ岳と毎年定期的に合宿や縦走をしてきたのです。地域の警察署の依頼等により遭難救助活動も多く、主として国師岳、奥仙丈岳周辺で、過去杣口林道の未開設時にアプローチの長い入山で積雪に悩まされたのであります。主な事件は、昭和38年5月明治学院大生(女)1名の救助、40年5月国師ケ岳にて2名(男)の遺体収容、40年8月大弛小屋管理人の作業中の事故死による遺体収容、41年1月天狗尾根にて凍傷の高校生救助、同年1月、3日間にわたり都立富士森高校生パーティーの北奥仙丈岳周辺の捜索と救助は深い積雪下困難を極めました。41年4月朝日岳周辺にて駒沢大生(男)1名救助、41年5月大弛周辺にて慶応大生(男)の救助等、この間に西沢渓谷の釜の中よりの遺体収容、東沢にて冬期2件2名の救助活動も行なっています。その後、西沢渓谷の事故が増加して、三富村に救助隊分会が編成されたおかげで、当会の救助活動も特殊な技術を要する事故以外は出動も少なくなりました。
海外登山の取組みは少ないが、昭和55年2月3日から10日第1次中華民国玉山登山、
59年2月8日から15日第2次中華民国玉山登山、63年2月29日から3月5日中華民国大山登山があります。
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