からまつ山岳会

名称 からまつ山岳会  
設立 昭和25年3月
代表者 古屋 学而
会員数 男:00名 女:00名 計:40名
活動内容  
集会日時  
会の紹介
今日のからまつ山岳会は、創立当初からみると数回にわたる変革がありました。
始めは、日川高校山岳OBが母体で「落葉松山岳会」が発足しました。設立メンバーは、旧制日川中学OBで母校の教師・山岳部の顧問であった古屋眞孝先生、飯島利彦先生、相良新二先生及び岩間昇氏(歯科医)の諸氏が後押しされて第一期生の掛本芳成(初代会長)、堀口章宣、橘田?光、丸山道彦、前田淳、第二期生の藤巻隆基、北村武彦、土屋仁の諸氏が名を連ねております。会報は、「ベルク・カメラード」、昭和24年発行第1号で日川高校山岳部報と協同発行されました。昭和27年に新しく山岳会の会報として「からまつ」第一号が発行され、以降10号まで続いております。当初、南アルプス、八ヶ岳,奥秩父、冬はスキーを中心とした同窓会的な集まりでした。この間、昭和28年7月~9月大弛小屋管理が前田氏を中心に始まります。
次に昭和32年1月、永田勉会長で組織の強化が計られております。会員は、新しく推薦制度取り入れて広く募集し、東京支部を置くようになります。登山はより高度な技術を目指し、冬の北岳,八ヶ岳に登り、岩登りや雪上の訓練を重ねます。また、映画と講演会の催し、月報"からまつ"の発行、大弛小屋管理も軌道に乗り、幅広い活動が行われます。 昭和34年には、北村武彦会長が再選されましたが、会の運営に問題点が生じます。まず、特別会計による山岳図書購入の件、岳連理事人選に関する会の対応、大弛小屋焼失誤認事件等に端を発して意見が対立します。同年、11月に4人会(飯島、古屋、岩間、相良)の調停が始まり、昭和36年4月より藤巻派16名、東京支部7名、北村派5名の3分割となります。
からまつ山岳会はこれより藤巻隆基、掛本芳成会長、古屋学而会長と続き今日に至ります。主な登山は、塩見岳北面の岩稜とルンゼを二冬期、北岳バットレスは三度の合宿を経て38年1月第一、第二、第三、第四の各屋根、中央稜を登ります。また、訪華友好登山隊として(40年1月~2月)台湾の北部山脈と玉山登山を行っています。
昭和40年以降は、会員数も増え、毎年夏山の後、"ジャンボリー(からまつ祭)"では、自前の果物等を持ち寄り家族ぐるみで近くの山や川辺で親睦を深めています。昭和60年頃から世代が変わり現役は少なくなりましたが、北アルプス等の屋根歩きを続けています。
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